初診前後はある意味一番苦しい期間です。治療が始まったばかりであらゆる意味でさほどの効果が出ていないから。
次回のブログでは初診後にするべきさまざまなおすすめの手続きについてご紹介したいと思いますがその前に(そして今後も繰り返して)どうしても申し上げたいことがあります。
うつ病にかかったということと、精神に重度の障害を負ったかどうかは全く別だということです。
病状に応じて重かったり軽かったりする、その他の病気と同じ「病気」だということ。
それぞれの程度に応じた実績ある治療法も必ずあります。
うつ病は治せない、という固定観念
他の病気に比べてうつ病は「なおらない」「難治」と思いやすいところがあります。
理由は大きく2つ
- 気力を失う病気であること
- 「精神障害」「精神疾患」という言葉の不気味さ
です。
ケガや現実に体内に病巣を抱えた病気ももちろん大きく落ち込みます。
しかし気力そのものを失ってしまう、という特徴は「闘病」という心境になりづらい。
物事を悲観しやすくなってしまう。「病気に負けない」という原動力になる意志力がそもそも削がれているのです。
初期の患者が感じること『重い障害を負った』
今回この点を強調するのは、初期の患者の多くが精神疾患という表現から「重い障害を負った」と受け止め悲しく苦しい気持ちになるからです。
特に初診前後はあらゆる「言葉」に反応する
私も長くそうでした、今の苦しさそして将来の不安とともに
とても重い障害を負うことになった
と感じた期間があります。初期は特に治療の効果もわからず不安ばかりがつのる。
のちに落ち着いてきてしばらくした時ふと思いました。
- 他の病気と同じく、軽度もあれば重度もある
- 重度であれば障害、軽度であればそれにはあたらない
- 重いか軽いか判断できるのは医師だけ
ということ。
不幸にして重い症状の方もおられます。うつ病だけでなく例えば統合失調症(それにも重い・軽いはあります)など。
うつ病は悲観的になりやすい・そもそも気力をそがれる病気
うつ病に限らずそもそもいかなる病気も、その症状は重いのか軽いのかという自己判断はできるのでしょうか。
ごく一般的な病気ですら無理です。わかりやすく言えば一見よくある風邪に見える病気すら実は重い病気だったという場合も多くあるのです。
そしてどんな病気でも具合が悪いとき人は「もうダメ」と考える瞬間が必ずあります。
有名な一例を挙げると作家の司馬遼太郎氏は自分は実は病気で気が弱くなりやすいタイプであると自身のことを書かれていました。
「風邪で高熱が続くとそれだけでも死を考えてしまう」という癖があったそうです。
ましてや私たちは「気力をそがれる病気」にかかっています。
悲観的になりやすいのです。
どんな病気でも必要なのは客観的な判断
悲観も楽観も本当は同じぐらい意味はありません(回復に向かっているときの楽観は治療にも大いにプラスではありますが)。
そして判断できるのは知識と資格を有した医師以外できない。
書類のほどんどにある「精神疾患」「福祉」の文字に落ち込む
うつ病は現在「精神障害者向けの福祉行政」システムでサポートされます。
公的サポートの用語で気持ちが参ってしまう
精神障害者向け
福祉
精神疾患
正直に申しますとこういった文字を見たとき、私はかなり落ち込みました。
例えば普通のお腹が痛い・熱があるといった病気ではお目にかからない用語だからです。
正直に告白しますと、理解度という点では、この病気になったばかりの私はうつ病を興味本位でとらえる人たちと大差なかったと思います。
この病気で得た自分への理解と反省です。
「精神疾患」・単なる行政用語であることを理解して
「精神障害者向け」「福祉行政」、これはうつ病が全て重度の障害であるかどうかとは全く関係がない、単なる行政上の用語・区分にすぎません。
あなたの病状の重い軽いとは全く関係ない
将来に大きな問題を抱えたということを意味するわけではない
ということをはっきり申し上げたい。気休めではなく客観的な事実としてです。
重い/軽いを判断できるのは医師だけ
症状には軽いものから重度の障害まで医学的な違いがあります。私たちが知るそのほかの病気と全く同じだということです。
またその程度と対策を判断できるのは知識と資格のある医師だということ。
会ったこともない素性も定かでないライターではありません。
「気持ち次第ですぐ治る」「1ヶ月で治る」「治らない」「甘え」「遺伝子・ウイルス原因」・共通するのは専門知識のなさと商売
ここまで書いた本当の理由は以下を申し上げたかったから。
無責任で何の裏付けもない情報にあふれている・しかし弱った心は敏感に反応してしまう
「重い障害」「精神病」という言葉に参っている心は、
本やネットの情報、そして知識はないけれどうつ病を珍しげに興味半分に見ている人たちのコメント
これらに敏感に反応するようになっています、苦しいからです。
情報を売りたい人のコメントは
「うつは甘え」
「病気ではなく気の持ちよう」
「治らない」
または逆に
「考え方を変えるだけでみるみる治る」
「1ヶ月で治る」
「○✖️を食べたら治った」
中には「ウイルスが原因」「遺伝子の影響」と主張するものすらあります。
医師からは何も裏付けがなく、それを目的に治療しても効果はないと言われました。
興味本位の人がいう代表的な意見は(生々しい表現を避けると)
「おかしくなった」
無責任な意見(特に商売目的)は苦しい心に響きやすい
特に初診前後の時期のようにとても苦しい時、これらはとてもではないが見過ごせる情報ではありません。行政サポートの書類に書いてある用語にすら敏感に反応する時期です。
- 自分の病気に関連するのではないか
- この情報に治るきっかけがあるのではないか
しかも中には情報を売るために、注目を集めることを目的のものがあります。
ある程度知識を仕入れた上で過激な表現で売り込む。興味本位の素人コメントよりも始末が悪い。
正直にいえばすぐ治る系の本はかなり読みました。何の改善もなく、今は消えた本もあります。
随分後になってから、あのタイトルならば買ってしまうなと気づいた。
前回ご紹介申し上げた通り治療は「少しづつ」だから。
他の病気と変わらないのです。
データ診断や検査ができない病気・誰でも発言しやすい
よく考えれば、うつ病関連のコメントや目を引くような過激な表現は他の病気では成立しないことがわかります。
「これ、糖尿病だよ。このやり方ならすぐ治る」
「肺炎だね、重いよ。治らないね」
「間違いなくコロナ。風邪じゃないね」
「高血圧でしょ、薬はだめだよ。ストレス減らさないと。それには運動がいい」
医者でもないのにこんな断定をする人がいたら(新興宗教でもない限り)信用しないと思います。
しかしうつ病やその他精神疾患では毎度おなじみです。しかも信じてしまう。
断言できるのは初回で申し上げた通りデータ診断や検査ができないからです
データを示さなくても「自信たっぷりの話し方」だけでいい、だから根拠のないことを言いやすい。断定するほど信じたくなる。
患者は気力を失っている病気なのです。
そこに入り込もうとする。
(繰り返し)重い・軽いは医師の判断
上記のようなひとの目を引きやすい(しかし医学的な根拠に欠ける)言葉を医師はとても嫌います。
治療の妨げにしかならないから。
実際に「うつは心の風邪」という言葉が流行したときにとても怒っていたお医者様にお会いしたことがあります、「いい加減なことを言いふらすので困る」と。
実際に最近はあまり聞かなくなりました。流行らなくなったから言わなくなったのです。
繰り返しますが、今のあなたの状態を一番正確に判断できるのは医師です。
治療を指示通り実践し、少しづつ「休みはじめ」ようとすれば必ず改善します。
どうか治療にあたって皆さんは無責任な言葉に振り回されないでください。
私は振り回されて治療の効果を弱めてしまった時期があります。大きな悔いとして残っています。
気にするなとは申しません、事実として見聞きするたびにおおいに私たちの気持ちを動揺させます、私もいまだにそうです。ただ、
医学の専門家ではなく、知識も知見もない素人または商売目的の意見にすぎない
それを思い出していただければ幸いです。
また次回ご紹介する公的サポートを申請するにあたり、少しでも冷静になって頂きたいと思い書かせて頂きました。
表現はどうでもいい・誰でもなる病気という認識こそ
正直に、少々開き直って自分の今の心境をいえば、もし私を「障害者」と呼びたいならそう呼んでくれて構わないと思っています。
つたない経験ですけれど失敗例が何かのお役に立てばと思いブログでご紹介しております。しかし医師の指示に従わない時期があったりして(逆らったのではなく実行しなかったのですが)、14年以上も続いているわけですから「お前は正常とは同列に扱えない」という人がいるならそれもそれと思っております。
うつ病を隠してきたために興味本位のストレートな意見もたくさん聞いてきました。
おかげでうつ病やその他の心的疾患に関して、人によっては相当の拒否反応があることも存じております。
だから障害という言葉をわざわざ「障がい」と書いてくれなくともそれで全く構わない。
うつ病について
- おかしくなった
- 病気ではなく気持ちの持ちよう
- 甘え
という人は言葉を変えたぐらいで認識を改めてもらえる可能性は低いから。
また本質的にいたわりの心を持っている方は言葉などに関係なく配慮してくれます。
またこの病気にかかったからこそお分かりと思いますが、うつ病は条件がそろうと実に簡単なきっかけでかかるものだと痛感されていることと思います。
私自身「誰でもなる病気」そう思っています。
その点で自分にとってはこれまでも、そしてこれからも関係がない病気と思う人は、何の根拠もない願望を語っているにすぎない。
つまり私たちにとって聞くに値しないということを思い出していただければ。
それであの悲しく不安な気持ちから少しでも落ち着いたご心境になっていただけば。
次回は初診後におすすめする公的サポートの申請ととの目的について記したいと思います。